モノノフからDDへ

ももクロ一筋だったモノノフがDD化していく軌跡を綴ったブログ

アイドルというカルチャーはどこまでいけるのか 第1回「アイドルというカルチャーの確立」

最近、オタ以外の方たちの周囲でもアイドル論が真面目に語られることが多くなり、そういう意味では下準備が整いつつある感もするので、自分がなぜ突然アイドルブログを始めたのか、今現在アイドルという存在はどんなもので、この先どうなる可能性があるのか、ということについていったんまとめて語っておこうと思います。

そりゃお前がアイドルを、可愛い女の子を好きだからだろ、と言われてしまえばそれはそうなんですが、それを大前提とした上で、一応それなりのもっともらしい理由もあったりするのです。

と言っても非常に長い話になるので、何度かに分けて語ろうと思います。
とりあえず、以下のような目次で語るつもり。
あ、ちなみにここでいう「アイドル」というのは基本的には女性アイドルを意味します。

  1. 「アイドル」というカルチャーの確立
  2. 先入観と偏見の打破
  3. コンテンツビジネスとしてのアイドル

というわけで、第1回の今回は、アイドルというカルチャーについて語りたいと思います。

1.「アイドル」というカルチャーの確立

アイドルという存在自体は、古くから存在していることはいうまでもありません。しかし、音楽のジャンルのひとつとして、またひとつのカルチャーとして、存在はしていても必ずしも確立はしてはいなかった、ともいえます。

というのは、かつては「松田聖子」というアイドルを好きである、ということはあっても、松田聖子小泉今日子中森明菜も好き、という人は稀であって、それはつまり擬似恋愛対象としての位置づけが強かった「アイドル」という存在に対し、二股三股をかけるようなことはむしろ否定的な考え方であり、同様にシンボリックな意味で一人のアイドルを好きになっても、それがイコール、カルチャー・ジャンルとしてのアイドルというものを好きになることにはなかなか繋がらなかったからです。(もちろん数は少なくともそういう人もいましたが)

同時に音楽のジャンルとしても「アイドル」というジャンルは、ロックやジャズ、クラシックといったジャンルのように語られることはなく、ポップソングの一形態としても、「アイドルソング」というジャンルとして語られることはほとんどありませんでした。(曲自体の分類としてのアイドルソングというジャンルは存在した)

それが変わるきっかけの一つがモーニング娘。の存在であったと個人的には思っていますが、モーニング娘。から現在までのアイドルに至るまでのアイドル文化変遷を語るとそれはそれでまた長くなるのでここでは割愛します。

また、音楽的な部分では、一足先に隆盛の域に達した「アニソン」というジャンルが大きな導き手になったことは言うまでもありません。さらにいえば、日本の音楽業界が短期的・一時的な売り上げばかりを追いかけた結果、似たような音楽ばかりを垂れ流してしまい、音楽の多様性を失ってしまった、という事情も背景にはあったと思いますが、こちらもまた語り出すと長くなるので割愛いたします。
ただ間違いなく言えるのは、現時点においては楽曲的にもっとも雑多かつバリエーションに富み、またシンガーソングライティングに依存しない、いい意味での商業的な楽曲の豊富さという意味では、アイドルというカテゴリに勝るものはありません。

それはそれとして、ひとまず結論から言えば、私自身がモノノフ(ももクロファン)からDD(誰でも大好き)に転じてみてわかったのが、現在でもかつての擬似恋愛対象としてのアイドル、もしくはそういった愛し方は当然存在するし、それがメインではあるが、特定のアイドルだけを好きになるのとは別に「アイドル」というジャンル自体を楽しむということが当たり前になってきているな、ということです。これはそれなりの現場の数を回した実感であります。またそうした人(DD)の数は増える一方であり、アイドルというジャンル、カルチャーにはそれだけの価値がある、と今なら確実に言える。

DD、箱推し(グループ内の特定のメンバーだけでなくグループ全体を好きであるファン)という言葉の定着はまさにそういった現象のひとつの象徴でもあります。つまり、疑似恋愛対象としての「一人」のアイドルを好きになるのではなく、アイドルというシンボリックな存在だけでなく、その体現である音楽をメインとしたパフォーマンス、またその存在に関連する様々な事象(この部分が大きな肝)を好きになる、ということが当たり前になってきた、ということです。

各地で開催されるアイドルフェス(数十、百数十のアイドルが一堂に会するイベント)の盛況さは、特定のアイドルグループだけを追いかけるファンのためのものではなく、「アイドル」というジャンルを愛する人たちがメインターゲットであること、そしてそれがビジネスとして成立することを証明しています。こうしたイベントが増え続けていること、もしくは大規模化していることからもそうしたファンの数が増えていることを明示していると思います。

そして、それを可能にするだけのアイドルの質・量が現在においては存在している、ということでもあります。
「アイドル戦国時代」*1と呼ばれる今ほど、アイドルというコンテンツが大量に生産されている時代は他にありません。そして同時に、これだけ豊穣な時代もないでしょう。

一言に「アイドル」といっても、簡単には語りつくせないほどのパターンや種類が存在し、かつての画一的ともいえるアイドルのイメージではまったく説明できません。むしろ、かつての「アイドル」という言葉で語られていたものとは現在の主流は一線を画しているといってもいい。
楽曲に限ってみても、いわゆるアイドルソングの部類から、ロック、パンク、メタル、ラップ、テクノ、R&Bに至るまでなんでもござれであり、さらにいえばひとつのグループがそれら複数のジャンルを歌うこともあります。

この豊饒さ、ある種の供給過多にも近いアイドル環境を生んでいるも最大要因のひとつは、「アイドル」という存在自体の変化です。
少なくとも昭和の時代、三人娘(古いな)、花の中三トリオ、からキャンディーズピンクレディーを経て、アイドルの黄金時代であった松田聖子中森明菜小泉今日子ら、角川三人娘まで含め、彼女たちは供給側によって「作り出された」アイドルでした。
年齢的、キャリア的に完成された存在ではありませんでしたが、それでも一定のクオリティは保証され、また彼女たち自身も資金的・地位的にある程度守られた存在でした。

しかし、現在ではそうした出発点から生まれるアイドルというのは稀です。
安い予算で、プロモーションもろくに行われず、また芸能人として守られた存在でもないところからアイドルが生まれるのが主流です。
ももクロでさえ、事務所こそ大手ですが、キャリアも実力も名前もないところから街頭でのライブというのもおこがましいようなパフォーマンスから始まり、ワゴンに寝泊まりしてのドサ回りを経て、今の地位まで辿りつきました。
逆にいえば、資金やノウハウがなくても、参入できるのがアイドルビジネスの世界であり、だからこそ数多の種々雑多なアイドルが次から次へと生み出される、ある種の粗製濫造に近い状況になっています。結果、質が低いものも供給されることになっているともいえますが、結果として母数が増えたことにより上位には質の高いものが残ることとなり、またその時点では(これが大事)質の低いものだったとしても、ファンとしては、それらを実際に見て、自ら選ぶことのできる時代にもなっているということです。

そしてまた、アイドルという存在の楽しみとして、アイドル側が提供する楽曲やパフォーマンスだけを楽しむ時代でもない、ということがいえます。
質が低く、完成されていないものであっても、楽しむことが可能になった大きな理由は、アイドルという存在が偶像化された別世界の住人だったものから、「ファンとの運命共同体」という存在に近づいたことにあります。

つまり、ある程度完成されたアイドルというコンテンツをファンは単に享受するだけでなく、アイドルの成長を一緒になって楽しむ、という育成型コンテンツとしての楽しみ方が追加されたわけです。
さらには偶像だった存在が、物理的(握手会などの接触イベント)、精神的(ブログやSNSなどのアイドルの日常が見えるツール)に近づくことで、育成型コンテンツとしての価値を高めるとともに、運命共同体としての絆が深まる、ということになります。

もはやこれは、単なる音楽というジャンルの一形態でもなく、既存の芸能というエンタテイメントビジネスのカテゴリに属するものでもなく、独自のカテゴリであり、それゆえにひとつのカルチャーとして確立されたものである、といって過言でないと思います。

その原型を作ったのが「おニャン子クラブ」の産みの親でもある秋元康であり、現在でもそれがAKBグループに引き継がれてることはまったくもって秋元康の凄さです。
しかし、これまたここで現在のアイドルのカテゴリ分けとか語りだすと長くなるので、ここでは割愛します。

やたらに前置きは長くなりましたが(芸風です)、つまり、現在において「アイドル」は完全にエンタテイメントの分野の1ジャンルとして、もしくはカルチャー(サブではあるものの)として確立され、またそれに値するだけのコンテンツが出揃ってきている、ということです。

そして同時に、カルチャーとして確立された、ということは当然、個々のアイドルだけでなくジャンルとして語りうるだけのものになった、ということも意味します。

AKBやももクロなど、個々のアイドルに関するファンサイトではなく(それはそれで存在する意味が当然ある)、より広くアイドルというジャンルを俯瞰すること、その上で語ること、そして、一つでも多くのアイドルについて、彼女たちの素晴らしさについて語ることに意味があるのではないかと思った、というのが、このブログを始めた一番の理由になります。

大袈裟な言い方をすれば、エンタテイメントのひとつのジャンル、カルチャーとしてのアイドルというコンテンツの素晴らしさを一人でも多くの人に知っていただきたい、その一助にでもなれば、という思いと同時に、自分が愛して止まないアイドル、彼女たちの小さな力になりたい、という使命感のようなものも含まれています。

しかし、カルチャーとしていかに確立されつつあるとはいえ、それを一般に広く知らしめていくにはまだまだハードルがあることも確かです。


それを踏まえて、次回は、同じくブログを始めた大きな理由のひとつであるアイドルという存在に対する「先入観と偏見の打破」について、語りたいと思います。いつ更新できるかはわかりませんが、なるべく早めに続きは書きたいと思っています。