RYUTist アルバム『RYUTist HOME LIVE』 と、"等身大"、という言葉のもつ意味
はじめに
まず、前段を二つほど。
私自身はRYUTistを生で見たことはまだありません。YouTubeで2,3曲、見た程度です。
知識として新潟ロコドル、ということは知っていましたし、周囲のオタの評価が高いことも知ってはいましたが、その程度です。
その上で、この『RYUTist HOME LIVE』というアルバムを聴いて、その素晴らしさとともに、このアルバムから様々なことに思いを馳せてしまったので、それをつらつらと書いていこうと思います。
RYUTistの楽曲についても、(現時点では)このアルバムしか知りません。ホームページを見るだけでも、カバー曲も含め、多彩な楽曲を持っていることはわかりますが、今回はあくまでもこの『RYUTist HOME LIVE』というアルバムと、その楽曲についてのみ、語らせていただきたいと思います。
ほぼ、ファーストインプレッションのみでの感想というか考察です。
ですので、RYUTistのファンの方などにおかれましては、「なんにもわかっちゃいねえな」と思われる内容もあるかもしれませんが、そこは目を瞑っていただくか、この記事自体を無視していただくか、コメントなどでご指摘、ご教授いただけるとありがたく存じます。
そして、もうひとつ。
私は「ロコドル」、ローカルアイドルという言葉が好きです。それも、東京大阪名古屋といった大都市ではなく、いわゆる地方都市から生まれたローカルアイドルの持つ潜在的なイメージと、地方都市ならではの個性、可能性に魅力を感じています。
それは同時に、多少なりとも「地方」という言葉の先入観によって生み出されるものもあり、それをお気に召さない方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、今回の『RYUTist HOME LIVE』のアルバムを語る上で、そこはどうしても省けない部分でした。
本人的には、この言葉やそこから感じるイメージを決して否定的、差別的な意味で使っているつもりはありませんが、そう感じさせてしまった場合は申し訳ございません。
以上、前段でした。
アルバム『RYUTist HOME LIVE』について
『RYUTist HOME LIVE』というアルバムは、その名の示すとおり、「ライブ」の形をとったアルバムとなっています。
途中、MCも入っていますし、おそらく楽曲の順序もライブのセットリストをイメージして作られているのだと思います。
なので、最初の一曲『RYUTiswing』はOverture的なものであり、楽曲としては2曲目からがスタートという形です。
そして、その2曲目の『Zero and Perfect Moon ~変わらない想い~』が、このアルバムと、(このアルバムから伝わる)RYUTistというアイドルを、見事なまでに象徴的に語っている楽曲で、初めて聴いたにも関わらず、その歌詞のエモさに、思わず泣きそうになってしまいました。
RYUTistは楽曲の歌詞も公式のホームページで公開されていますので(素晴らしい仕事)、そちらも参照していただきたいのですが、この曲の歌詞で、一聴しただけで琴線に触れて涙腺を崩壊させようとしたのが、以下の部分です。
私たちは太陽じゃなく
月だと知りました
だから上手に照らせません
それはごめんなさい『Zero and Perfect Moon ~変わらない想い~』
歌詞を全て読んでいただければわかるかと思いますが、この曲は、アイドルとなった彼女たちについて歌った曲になります。
そんな中で、様々な経験をし、時に傷つき、迷い、やがて「この街のアイドル」としての矜持を持つまでに至る曲だと私は思いました。
そして、この曲を聴いて、私が思い浮かべた言葉が「等身大」という言葉でした。
「等身大」という言葉はアイドルを語る際に、よく使われる言葉です。
「10代の女の子の等身大の姿」「等身大の恋愛の様子」、そんな言葉をよく聞くことがあると思います。
しかし、自分が『Zero and Perfect Moon ~変わらない想い~』を聴いたときに思い浮かべたのは「等身大のロコドル」という言葉でした。
いわゆる「中央」に負けないような楽曲やパフォーマンスで勝負するロコドルも多く存在します。
むしろ、楽曲だけでいえば、そちらの方が多いかもしれない。ご当地ソングは別としても、通常の楽曲となったとき、ロコドルの多くはメジャーアイドルとなんら変わりはないことの方が多いです。
それは、ロコドルだからといって決してメジャーアイドルには引けをとらない、という対抗意識もあると思いますし、それこそがむしろロコドルの矜持だともいえるのかもしれません。
しかし、RYUTistは、「私たちは太陽じゃなく月だと知りました」と自らを表現します。
眩しく光り輝く存在ではなく、満ち欠けを繰り返していく存在である、と。
そのことに胸を打たれました。
決して自らを卑下している言葉ではないと思います。
太陽には太陽の良さが、月には月の良さがある。それを認めたうえで、自分たちは「月」である、というその想い。
無理の背伸びをするのでもなく、自分たちは自分たちなりの「良さ」を多くの人に見てもらいたい。
そして、その出発点はあくまでも「新潟の古町」にあるんだよ、ということをこの一曲で歌っている。
その奥ゆかしさと「等身大」性に自分は心から感動しました。
アップテンポだし、曲調としても明るいこの曲が醸し出す「エモさ」はそんな部分からきているのだと思いますし、それによっても私の涙腺がやられてしまっているのだと思います。
と、正直、『Zero and Perfect Moon ~変わらない想い~』一曲について語っただけで、個人的には語りつくした感もあるんですが、アルバムについて語る、という点ではあまりにも片手落ちなので、もう少々言葉を尽くします。
このアルバムは、その「月」であるRYUTistのイメージそのままの一枚だということがいえると思います。
いわゆる「アッパー系」の曲は一曲もありません。アップテンポではあるし、曲調も明るいものが中心で、決してマイナー調ではありませんが、それこそ太陽の日差しではなく、月明かりをイメージするような、柔らかでどこか陰のあるものがほとんどを占めています。
それはおそらく、今流行のBPMの速い曲がないこと、同時にどこか懐かしさを感じさせるメロディラインとなっていることが理由だと思います。
(もっと明るい曲だってあるよ! という意見もあるのかとは思いますが、あくまでも今回のアルバムの話です)
これがRYUTistの1stアルバムである、ということの意味、それも数十曲ある持ち歌の中から、「ライブ」という形で、このセットリストを持ってきた意味というのは大きい。
少なくとも私のようなRYUTist初心者にとっては、ある程度RYUTistのイメージが固まった部分はあります。
実際に生のライブを見て、他の曲も聴いたときにはいい意味で裏切られる部分もあるとは思いますが、自分は「新潟の古町」"出身"ではなく「新潟の古町」"の"アイドル、その「等身大」の姿を詰め込んだアルバム、というイメージですね。
そして同時に、ロコドルの「等身大」性は、メジャーアイドル以上に、「普通の女の子」に近いものを生み出します。そのことによりますます、楽曲の、歌詞の説得力が増している。
そのことを強く感じた曲がもう一曲あります。それが『Wind Chime!!~古町のトンネル~』という曲です。
タイトルに「古町」と入っていることからもわかるように、自分たちの地元を歌った、ご当地ソング、といっていいと思います。
ただ、そのご当地ソングも、自分が知っている(たいした数ではないにしろ)ロコドルのご当地ソングとは一味違っていました。
通常のご当地ソングというのは、名産や名物、そして土地の名前、というものがたくさんでてくるのが常です。まあ、いい意味での宣伝を兼ねているわけですからそれが当然なんですけど。
しかし、この曲では「古町」という土地名以外は出てきません。新潟の中でもピンポイントすぎるだろ。
さらに、名産特産の名前も出てこない。
自分がこの曲を聴いたときに真っ先に思い浮かべたのが、森高千里の名曲『道』でした。そして同時に、同じく森高千里の『この街』と『渡良瀬橋』も思い出しました。
森高ファンならわかってもらえると思いますが、これらの曲は森高千里が得意とするその土地ならではの「風景」を見事な描写で切り取った楽曲たちであり、『Wind Chime!!~古町のトンネル~』にはそれに通じるものがあると思います。
名産名物こそが「ご当地」を代表するのではなく、その場所の風景、そこでの生活、そこの空気、そうしたものこそが「ご当地」であり、それを表現することができる存在こそがロコドルである、ということをこの曲を通じてわかったような気がします。
というか、むしろこの曲は「外」に向けたご当地ソングではなく、「内」、つまりは古町の人々に向けたご当地ソングなのかもしれません。もし、自分が古町の人間だったら、この曲を、特にラストフレーズを聴いたら絶対に泣いてしまう。こんな風に、自分たちの町を歌ってもらえたら、そんな素敵なことはないと思います。
まあ、後で知ったことですが、この曲自体は元々『Wind Chime!!~街のトンネル~』という、ご当地色を薄めた元の楽曲があり、それを「古町」バージョンにした曲になっているみたい。「街のトンネル」の方は、歌詞を見ると、ますます森高千里な感じがして、自分にはたまらないなあ。
このアルバムからは、そうした、ロコドルとしての等身大、を多く感じることができ、その「等身大」の部分が他のアイドルにはない、大きな魅力に感じました。それこそはRYUTistの個性であり、武器である、と。
そこから生まれ出る「エモさ」はどう頑張っても、メジャーアイドルには出せない「味」です。
非常に個人的な感想で申し訳ありませんが、メロディラインの美しさ(非常に自然で奇を衒ったところがない)、そして力強くひとつにまとめられたハーモニーを聴いていてると、ClariSや9nineの曲を聴いているような気持ちになりました。
その象徴ともいえる一曲が『神話』だと思います。
ぶっちゃけ、この曲は9nineが、かんちゃんとちゃあぽんが歌っていても違和感ないです。サビなんて、9nineのハーモニーに変換することは容易です。
しかし、この曲がより心に響くのは「等身大」であるRYUTtistが歌うからこそ、だとも思うのです。
Twitterにも書きましたが、かつて、光り輝く眩しいアイドルよりも、斉藤由貴や島田奈美のように、派手さはないけど、どこか陰のある(特に楽曲的に)アイドルが好きだった人は絶対に聴くべき。って、年寄りにしかわからない例えで申し訳ないですけど。
などと書きながらも、やっぱり、明るくて広がりを感じる曲もあるということも付け加えておかねばいけないでしょうね。このままだと単なるエモいアルバム、アイドル、というイメージにもなりかねないので。
それがラスト2曲、『Beat Goes On~約束の場所~』と『ラリリレル』です。『Beat Goes On』は、間にラップ調のパートがあったり、メッセージ的にも非常にポジティブで、アレンジもとても明るい。
『ラリリレル』は、常にライブのラストで歌われる曲、ということです(と聞きましたが違っていたらゴメンなさい)が、それもよくわかる。聞いているだけで自然に笑顔になってしまう、でも、なぜか涙も流してしまいそうな一曲です。自分の中ではももクロの『走れ!』に匹敵するラスト曲ですね。
眩しく光り輝く太陽には、なかなか近づくことはできない。でも、月には人が降り立つことだってできる。
RYUTistの楽曲が、普通のアイドルの曲よりも近くに、直接的に心に響いてくるのは、彼女たちが「月」だからこそなのかもしれません。
"等身大"、という言葉のもつ意味
最後に、アルバムとは直接関係ないことについてつらつらと書かせていただきます。
「等身大」性というのは、アイドルだけでなく、アーティストの楽曲についても非常に重要なものとして語られることが多くて、それはつまり聴き手の「共感」というものに繋がるからだと思うわけです。
もしくは、直接的な共感ではなく、ノスタルジーに繋がる。
だからこそ、非常に受け入れられやすい。
ほとんどのアイドルが、その「等身大」性を意識しており、極端にいえば、その「等身大」性の大きさ(集合の円の広さ)が、マスの確保に繋がる部分もある。
ただ、RYUTistの場合は、マスの広さに訴えかけるのではなく、非常にニッチではありながらも、RYUTistにしか出せないというアイドルと楽曲の親和性、シンクロ率の高さみたいなものが強さになっている。そこに単純な「共感」はないのですが、「説得力」という武器が生まれるわけですね。それが面白いな、と。
そして同時に、自分の中で非常に大きな存在である、ももいろクローバーZとアイドルネッサンス、という2つのアイドルグループを振り返ったとき、この2つのグループには、この「等身大」性というものがほとんど存在しない、ということもまた興味深いな、と思いました。
ももクロについては、そういう曲がないわけではありませんが、どちらかといえば、そうした「等身大」性よりも「強いメッセージ」性を売りにしていったからこそ、それまでアイドルという存在にハマらなかった私のようなオッサン達までも巻き込んでいったという流れがあると思います。
そして、アイドルネッサンスについていえば、全てがカバー曲であり、そのほとんどが自分たちの年齢とはかけ離れたアーティストによって、それも多くが男性によって作られた曲を歌っているわけで、そこに単純な「等身大」性は見つけられません。
もちろん、その中で彼女たちはそれらの楽曲を、自分たちに近づけるための努力を怠ってはいないのですが。
そんな中での『17才』が極端にエモーショナルなのはとてもわかりやすい。この曲についてはむしろ、Base Ball Bearが歌うよりもアイドルネッサンスが歌うことの方が「等身大」性が高まる気がします。
そう考えると、「等身大」性というのは、受け入れられやすさという点では大きな武器でありながらも、どこかで限界が生じるもののような気もするのです。つまり「共感」できない人には響かない、とでもいえばいいのかな。
ももクロやアイドルネッサンス(ちなみにベビレもそうだな)は、ある意味で一番わかりやすい「等身大」性を捨て去る(少なくとも楽曲からは)ことで、共感するしないに関わらず、より多くの人に受け入れられる可能性を秘めている(ももクロの場合は既にある程度達成した)のではないかなあ、と。
RYUTistのアルバム『RYUTist HOME LIVE』は、そんなことまで考えさせてくれるだけの力がありました。
たった一度、耳にしただけでここまでいろんなことを考えさせてくれるって、凄いことだと思います。
でも、そんなこといちいち考えず(お前が言うなって感じですが)、聴いてみて欲しい。とても心に響いてくるアルバムだと思いますよ。
『RYUTist HOME LIVE』
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